能登国持大名「前田利家」ゆかりの地

写真(C)間蔵俊甫


小丸山城跡(こまるやまじょうあと)【七尾市馬出町、小島町】
 天正10年(1582)に前田利家が領国支配の拠点として築いた平山城である。

 現在は公園として開放されているが、本丸とみられる第一公園を取り囲むように、二の丸などとみられる曲輪がみごとに配置されている。ふもとにには、整然とした町割による城下町が形成されている。

小丸山城趾の碑
小丸山城趾の碑


長齢寺(ちょうれいじ)【七尾市小島町】
 小丸山城西側の山の寺寺院群にある曹洞宗寺院。

 前田利家が建立した寺院で、長齢寺の名称は利家の母の院号にちなんでいる。

 前田家の菩提寺で、一族の肖像画を多く所蔵している。

 ■長齢寺 official web site

 

長齢寺本堂
長齢寺本堂


能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ)【七尾市所口町】
 能登一の宮の気多神社のもとの宮だといわれ、気多本宮(けたほんぐう)とも呼ばれる。

 天正17年(1589)に、小丸山城普請にともない、利家により現在地に移転される。

 

気多本宮
気多本宮


七尾城跡(ななおじょうあと)【七尾市古屋敷町他】
 戦国時代に守護能登畠山氏により普請された山城で、国内有数の規模を誇る。

 天正5年(1577)に越後国上杉謙信に落とされた後、天正9年には、前田利家のものとなるが、利家はすぐに拠点を小丸山城に移したと考えられている。

 

七尾城跡(桜馬場石垣)
七尾城跡(桜馬場石垣)


棚木城跡(たなぎじょうあと)【鳳至郡能都町】
 海に突出した舌状台地の先端に築かれた城で、現在は公園となっている。

 天正10年(1582)に上杉方の長景連(ちょうかげつら)と前田方の長連竜(ちょうつらたつ)が戦い、長景連が敗れたことにより、利家の支配体制が固まった(棚木城の合戦)。

棚木城跡遠景
棚木城跡遠景

棚木城跡遠景
棚木城跡遠景


荒山城跡(あらやまじょうあと)【鹿島郡鹿島町】
 天正10年(1582)の本能寺の変による織田信長の死を機に、前田利家から能登の奪回を企てた上杉方の旧能登畠山家臣と戦い(荒山合戦)、前田方が大勝した。

 この戦いを機に前田利家の能登支配が確立する。

荒山城跡
荒山城跡

荒山城跡登口
荒山城跡登口


石動山(せきどうさん)【鹿島郡鹿島町】
 泰澄大師が約1300年前に開山したと伝える山岳信仰の拠点。

 中世には360院坊、宗徒3000人を擁したといわれる。

 利家は荒山合戦の後、石動山で宗徒と戦い(石動山合戦、1582)、全山を炎上させたが、後に豊臣秀吉の命により復興している。

伊須流岐比古神社
伊須流岐比古神社



高爪山(たかつめやま)【羽咋郡富来町】
 円錐形の山容から、能登富士とも呼ばれている。

 古くから信仰され、持統天皇の祈願所であったともいわれる。

 前田利家をはじめ、前田家代々の藩主が崇敬している。

 

高爪山
高爪山


芳春院(ほうしゅんいん)【鳳至郡門前町】
 江戸時代に前田氏は総持寺を再建するが、この時前田利家の妻芳春院まつの立願により山門が復興され、同時に塔頭芳春院を興す。

芳春院(総持寺)
芳春院(総持寺)

山門(総持寺)
山門(総持寺)


妙成寺(みょうじょうじ)【羽咋市滝谷町】
 永仁2年(1294)開創の、日蓮宗の本山。

 前田利家も寺領を与え、擁護している。

 第3代利常の母となる側室寿福院の菩提所で、利常により伽藍が整備されている。

 

妙成寺五重塔をのぞむ
妙成寺五重塔をのぞむ


気多大社(けたたいしゃ)【羽咋市寺家町】
 奈良時代すでに北陸の大社として知られた能登一の宮。

 能登に入国した前田利家は天正10年(1582年)より社領の寄進や社殿の造営を行い、歴代藩主も庇護を与えた。

http://www.keta.or.jp/

 

気多大社
気多大社


七尾市街地
 城下町の面影を色濃く残す七尾の街並み。

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