「前田利家」 能登七尾へ

写真(C)間蔵俊甫


 

 天正9年(1581年)10月、前田利家は織田信長より越前府中(福井県武生市)から、家族とともに能登国に移るよう命ぜられる。

 越前府中では大名といいながらも佐々成政(さっさなりまさ)、不破光治(ふわみつはる)と三人による分割統治で、柴田勝家(しばたかついえ)の与力大名であった。

 はじめて一国一城の主となったのが能登で、その活動拠点を七尾に定めた。

 ここに国持大名前田利家が誕生した。

利家とまつ子の像【小丸山公園・七尾市】
利家とまつ子の像
【小丸山公園・七尾市】


織田信長朱印状

織田信長朱印状

[解説]

 天正9年10月に前田利家を能登国持大名にした織田信長は、越前国府中(現福井県武生市)の所領や城(府中城)を菅屋長頼(すがやながより)に与えた。越前での天正九年分の年貢は利家の所得となり、同十年分から長頼の収入となる。利家の妻子は、必ず能登に引越すように、と厳命されているので、まつも幼い利政や千世など、何人かの子女を連れて七尾に引越した可能性は高いと言えよう。引継ぎのため、長頼を近日越前に派遣するから、利家の城や家臣の家々を入念に整備して、引越すように、という指示である。長頼が城代となっていた旧七尾城に利家夫妻が入ったのであろうが、飯山や菅原に居住したのは、この頃とみる説もある。利家の越前府中城は長頼が請取る形になったが、この年12月には、信長の四女永(玉泉院)を娶った利長が、利家の旧領を充われて入城する。


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